船越英一郎のすごい家族と家系図!結婚には俳優の父も女優の母も反対?実家の旅館は妹が?
船越英一郎のすごい家族と家系図!
数々のサスペンスドラマに出演し、その演技力で人気俳優となった船越英一郎さん。
ドラマで見せるシリアスなキャラとは違い、バラエティ番組では明るくおちゃめな一面もまた、彼の魅力ではないかと思います。
さて、そんな彼の家族や親戚もまた、俳優や女優として活躍した人がいるのだとか。
では、船越英一郎さんの家系図を中心に、どんな人がいたのか? そして例の一件についても少しだけ触れて見ましょう。
1982年に俳優としてデビューを果たし、その高い演技力で連続・単発ドラマ関係なく出演を果たしている船越英一郎さん。
特に2時間ドラマへの出演が多いことから、『2時間ドラマの帝王』という異名をもつのだとか。
ちなみに、『2時間ドラマの女王』と呼ばれているのは、彼と何度が共演をしている片平なぎささんだそうです。
そういったドラマでの活躍が中心ではありますが、最近ではバラエティ番組に出演をしたり、人気アニメ『ドラえもん』などでは声優にもチャレンジしています。
俳優以外の仕事について、船越英一郎さんは違うジャンルに出演することで自分を知ってもらい、多くの人にドラマや映画を見てほしい
と語っています。
さて、俳優だけではなくタレントや声優という仕事にも全力で取り組む船越英一郎さんですが、実は家族や親戚も芸能活動をしているのだとか。
中には名優と呼ばれた方々も名を連ねる家系図のようですが、意外とそういった家系だということを知らない人も多いそうです。
では、まずは船越英一郎さんの家族から見てみましょう。
船越英一郎の家族とは?
現在ではジャンルを問わず活躍中の船越英一郎さんですが、実は両親も役者という2世俳優だったということは知っていたでしょうか?
そんな彼の家族構成について見てみましょう。
父は?
船越英一郎さんの家族について、父親は二枚目俳優として『暴れん坊将軍』や『白い巨塔』などジャンル問わず活躍をした船越英二さんです。
船越英一郎さんの父親ということですが、画像などを見ると息子とはまた違ったカッコよさを感じます。
きっと、息子の英一郎さんにとって自慢の父だったのではないでしょうか。
さて、英二さんのデビューのきっかけは、知人の冷やかしで応募した『大映2期ニューフェイス募集』ということで、当初はあまりパッとしない俳優だったといわれています。
しかし、活動を続けていくと役者としての才能が目覚め、その演技力で賞を受賞するなどの活躍をしていたそうです。
こうして数十年も俳優を務めていたからこそ、船越英一郎さんが役者になることを父親は反対していたのだとか。
それでも3年でダメなら諦めるという約束で、英一郎さんは俳優としてデビューしたというエピソードがあります。
役者として活躍していた船越英二さんですが、1965年には神奈川県で旅館経営しており、俳優を引退後は近くの自宅で過ごしていたそうです。
そして2007年3月に、脳梗塞によって帰らぬ人となりました。
母は?
父は名優である船越英二さんということですが、母はどんな女性だったのか?
船越英一郎さんの母親も、女優だった長谷川裕見子さんです。
1948年に映画『遊侠の群れ』で映画デビューをしており、1974年に放送された『一つだけのいのち』を最後に女優としての活動はしていませんでした。
夫の船越英二さんとは1958年に結婚をしており、1960年に息子である船越英一郎さんを出産しています。
船越英二さんもカッコいい人ですが、長谷川裕見子さんも画像や映像を見ると落ち着いた綺麗な女性だと思います。
なので、船越英一郎さんの父と母が並ぶ写真というのは、きっと美しいものでしょうね。
さて、裕見子さんは女優を引退した後は夫の旅館を一緒に経営していたそうですが、旦那である英二さんが亡くなった3年後の2010年にガンによってこの世を去りました。
船越英一郎さんも役者として苦しい時期があったそうですが、こうして人気俳優となったのは彼の努力と、両親から受け継いだ才能もあったのかもしれませんね。
そんな英一郎さんには妹の平野洋子さんという方がいるそうですが、その方は後ほど紹介させていただきます。
妻と子供は?
船越英一郎さんの妻は、女優やタレントとして活動している松居一代さんです。
2人の間に子供はいませんが、一代さんには前夫との間に息子がいます。
息子の名前は隆一さんといって、現在は社会人として就職しているそうです。
両親だけではなく親戚も?
船越英一郎さんの両親も役者として活躍していたことがわかりましたが、彼の親戚にも有名な人々がいるそうです。
では、両親の他にどんな素晴らしい方がいるのでしょうか?
英一郎さんの母である長谷川裕見子さんの叔父に、約300本の作品に出演した長谷川一夫さんがいます。
特に時代劇を中心に出演しており、『雪之丞変化』や大河ドラマ『赤穂浪士』などで活躍をしていたそうです。
その一夫さんの最初の奥さんは、歌舞伎役者の初代中村鴈治郎さんの娘であるたみさんという女性で、その兄弟に二代目中村鴈治郎さんがいます。
そして二代目の娘となるのが女優の中村玉緒さんです。
中村玉緒さんの旦那といえば、『座頭市』などでおなじみの勝新太郎さんなのは有名ですね。
たみさんと離婚をした後は繁さんという女性と再婚をしており、この方が母の裕見子さんの姉となります。
繁さんと一夫さんの間に生まれたのが長谷川稀世さんという女優で、その娘も女優として活動する長谷川かずきさんです。
さらに長谷川一夫さんの親戚には女優の山村紅葉さんもいます。
実はまだまだ家系図は広がるのですが、文章にすると船越英一郎さんの家系図というのはややこしくなってしまいます。
なので、ネットにある家系をまとめた画像を参考にしてもらえればと思います。
結婚には俳優の父も女優の母も反対?
船越英一郎さんは2001年に女優である松居一代さんと結婚をしました。
2人の馴れ初めですが、ドラマでの共演がきっかけで交際を始めたことが始まりだったといわれています。
結婚後は芸能界でも屈指のオシドリ夫婦として評判となり、どちらもドラマやバラエティに引っ張りだことなりました。
そんな幸せな結婚をした船越英一郎さんですが、父の船越英二さんは猛反対をしていたのだとか。
なぜ船越英二さんは松居一代さんと息子の結婚を反対したのか? どうも理由は船越家の家系や彼女の性格に秘密があったようです。
反対した理由は松居一代に?
船越英二さんが結婚を認めなかった理由として、まずは受け継いだ船越家の家系というのが関係しているそうです。
実は船越家というのは長く続く歴史のある家柄だといわれています。
その家系をきちんと引き継ぐことが大切だと、船越英二さんは考えていたのだとか。
なので、息子である船越英一郎さんの血を引いた子供というのを望んでいたという話があるようです。
しかし、その息子が選んだ松居一代さんは過去に離婚歴もあり、前夫との子供も授かっていました。
まさか船越英一郎さんの初婚の相手がバツイチで子供がいるとは、父の英二さんも想像していなかったことでしょう。
また、子供はいるものの、船越家の血筋ではないということも引っかかったのかもしれません。
さらに、年齢的に英一郎さんと松居一代さんとの間に子供ができない可能性というのも、船越英二さんが結婚反対した理由ではないかといわれています。
あまりにも結婚を反対するあまり、船越英一郎さんの父である船越英二さんは日本刀を持ち出して怒鳴ったというエピソードもあるのだとか。
そこまでしなくても……と感じるのは、私だけではないと思います。
次に船越英二さんが松居一代さんとの結婚を反対した理由ですが、彼女が芸能界で生きる人だったということが関係しているそうです。
なんでも生前に芸能界という世界にいる女性の気の強さや、息子の性格から尻に敷かれるだろうということを心配していたのだとか。
やはり数十年も役者として芸能界を見ていた英二さんだからこそ、息子夫婦の未来を予測できたのかもしれませんね。
結局は船越英一郎さんは松居一代さんと一緒になることを選びましたが、船越英二さんは結婚式にも出席しませんでしたし、彼女とは不仲のままだったといわれています。
最後まで頑なに結婚を反対していたようですが、その裏には子供のことを考える父親としての気持ちが見え隠れしているようですね。
母親も反対していたのか?
父の船越英二さんは結婚を反対していましたが、母である長谷川裕見子さんはどうだったのでしょうか。
もしかしたら船越英一郎さんは家族全員から反対されていたのでは? と思ったのですが、どうも母親は松居一代さんとの結婚には賛成していたのだとか。
一代さんはことあるごとに義母と電話やメールでやり取りをしていたそうで、病気を患っていた裕見子さんをとても優しく大切にしていたといわれています。
そんな優しい松居一代さんを長谷川裕見子さんは本当の娘のように感じてたそうなので、どうも夫である船越英二さんとは違い、関係は良好だったそうです。
それによって旦那と喧嘩をしたこともあるそうですが、父とは違い長谷川裕見子さんは船越英一郎さんにとって良き理解者だったのかもしれませんね。
実家の旅館は妹が?
船越英一郎さんの父である船越英二さんは神奈川県で会員制の旅館を経営していました。
後に妻の裕見子さんが切り盛りをしていたそうですが、そこには船越英一郎さんの妹の姿もあったそうです。
では、その妹さんとはどんな方なのか、名前は平野洋子さんといいます。
船越英一郎さんの妹ということですが、どうも旅館の顔として画像などがネットにあるそうですが、兄弟ということで彼に似ているように思えますね。
そんな洋子さんは1983年に短期大学部を卒業しており、その後は実家の旅館『旅荘船越』で働くこととなったそうです。
というのも、本来は継ぐはずだった兄弟の船越英一郎さんが家業ではなく、芸能界へと進んだことで、妹の彼女が受け継いだといわれています。
1990年には女将となり、その他にも『湯河原温泉おかみの会』の会長などを務めたりと、自身の旅館だけではなく全体の活性化に尽くしていたといわれています。
しかし、旅館の経営や会長職という多忙な仕事が原因で、船越英一郎の妹である平野洋子さんは鬱病となってしまいました。
また、ちょうど兄が松居一代さんと結婚することも重なり、父と兄の両方に気を使ったことも鬱病の原因ではないかといわれています。
それでも平野洋子さんは病気を見事克服し、その闘いを小説にした『梅一夜』という本を2006年に発表しており、小説家としても活動することになったそうです。
こうして小説家と経営者という二足のわらじで活躍していましたが、再び鬱病となってしまい治療のために2009年に旅館を廃業することを発表しました。
どうも上記の活動の他にも、母である長谷川裕見子さんの介護や松居一代さんとの確執なども理由だったのではないかといわれています。
そして2010年に47歳という若さで、平野洋子さんは帰らぬ人となりました。
船越英一郎さんの妹である洋子さんの死因は、鬱病の自殺だったそうです。
家族や親しい人が亡くなることは悲しいことですが、自ら命を断つということ以上に辛いことはありません。
残された家族の悲しみというのは、私たちの想像以上のものだったでしょう……
平野洋子の結婚や子供は?
経営者として、小説家として、そして家族を最後までつなぎとめていた平野洋子さん。
そんな彼女の家族について、国家公務員の一般男性と結婚をしていたそうです。
しかし、残念ながら船越英一郎さんの妹には子供はいなかったといわれています。
平野洋子さんと夫の間に子供がいなかったことも、旅館の経営を辞めた理由なのかもしれませんね。
船越英一郎と松居一代の今後は?
船越英一郎さんと松居一代さんといえば、2005年ごろから不仲説や妻の衝撃発言により、現在も大きな注目をあつめています。
ことの発端は船越英一郎さんと川島なお美さんが不倫関係だったということを、松居一代さんが暴露したことから始まったようです。
また、最近では彼女がYouTubeにアップした動画で、夫が書いた『恐怖のノート』を公開したことで波紋をよんでいます。
その船越英一郎さんが書いたノートには、浮気相手といわれる女性とのやり取りが書かれており、松居一代さんの資産などを奪うといった内容だったそうです。
もちろん、そのノートの内容が本当なのか嘘なのかはわかりません。
また、船越英一郎さんの浮気相手という女性は成田美和さんだといわれており、家族ぐるみで交流があったという報道もあります。
この成田さんという方には旦那がいますので、もし報道が本当であればもっと大変なことになるでしょう。
こちらも、どこまでが本当なのかわかりませんけどね。
現在、船越英一郎さんは松居一代さんとの離婚調停をしているという噂もあります。
また、英一郎さんに対して暴力を振るったり、家族を罵倒するといった話もありますので、松居一代さんと離婚する理由というのは、意外にも多いのかもしれません。
事実と嘘が入り交じった情報という可能性もありますので、これ以上はあえて書きません。
今後、どんなニュースが飛び出すのか、しばらくは様子を見るほうがいいのかもしれませんね。
家族や親族にも役者がおり、歴史ある家庭に生まれた船越英一郎さん。
今は違う方面で注目されていますが、変わらず芸能活動をする彼にはプロとしての覚悟を感じます。
問題解決には時間がかかりそうですが、これからも俳優として活躍してくれることを願います。
まとめ
最後にまとめますと
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- 船越英一郎のすごい家族と家系図!
父親は俳優の船越英二さん、母親は女優の長谷川裕見子さんという家庭に生まれたそうです。
また、父や母の親族にも役者というのがいるそうで、中村玉緒さんや山村紅葉さん、長谷川かずきさんといった人も親戚だといわれています。
- 船越英一郎のすごい家族と家系図!
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- 結婚には俳優の父も女優の母も反対?
松居一代さんと結婚をしていますが、これには父の船越英二さんは反対をしていたそうです。
長い歴史をもつ船越家を重んじる父にとって、バツイチ子持ちの彼女との結婚というのは納得がいかなかったのが理由のようです。
しかし、母の長谷川裕見子さんは松居一代さんをかわいがっており、2人の関係を認めていたそうです。
- 結婚には俳優の父も女優の母も反対?
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- 実家の旅館は妹が?
彼の実家は旅荘船越という旅館で、それを引き継いだのは妹の平野洋子さんです。
女将として長年尽くしてきましたが、その反動で鬱病となってしまいました。
復帰後は小説家としても活動をしていましたが、再び病気を発病したことで、旅館を廃業しています。
そして2010年に自ら命を絶ち、帰らぬ人となりました。
- 実家の旅館は妹が?
願わくば、あのオシドリ夫婦だったころに戻って欲しいと思いますが、もう叶わぬ願いなのかもしれませんね……