小栗旬の父の職業は舞台監督で出身地は?兄の小栗了は元俳優で現在は?母はバレエ?
今や俳優として高い人気となっている小栗旬さん。
最近では最新映画として注目された『銀魂』や『響-HIBIKI-』などに出演するなど、役者として第一線で活躍をしています。
そんな活躍を見せる小栗さんですが、なんでも両親や兄弟もまた芸能関係に通じる人なのだとか。
ということで、今回は彼の父親が舞台監督をしているということやその出身地、兄であり元俳優となる小栗了さんの現在とは?
そして母親がバレエ教室という部分について見てみたいと思います。
小栗旬の父の職業は舞台監督で出身地は?
その甘いマスクで女性ファンを獲得しつつも、男らしいカッコいい演技で男性ファンも多い小栗旬さん。
冒頭にも書いたように映画への出演もしていますが、ドラマでも青木崇高さんと共演した『BORDER(ボーダー)』や刑事ドラマとなる『CRISIS(クライシス)』などで主演を努めています。
どれもカッコいい男性という役柄ですが、銀魂やボンビーメンでは一転してコミカルな役を演じており、そのギャップもまた彼の人気につながっているようです。
さて、そんな小栗旬さんが俳優として活躍しているのは地道な努力の結果だと思います。
しかし、彼の家族を見てみると幼い頃から役者としての才能を育てられる環境だったようです。
では、まずは小栗さんの父親ですが、なんでも有名な舞台監督だと言われています。
小栗旬の父である小栗哲家は舞台監督?
小栗旬さんの父親についてまずは見てみましょう。
彼の父親は小栗哲家さんといって、超が付くほどの有名な舞台監督なのだとか。
1976年に舞台監督として『アルバート・ヘリング』を手がけた後、日本だけではなく国外の有名歌劇場の舞台監督として活躍をされているようです。
ということは哲家さんは子供の頃からこういった世界に興味があったのかな? なんて思っていたのですが、どうも舞台とは縁のない人物だったと言われています。
学歴も名古屋にある名城大学を卒業しており、その後は照明会社に就職するなどまったく関係のない世界にいたそうです。
しかし、知り合いから『セビリアの理髪師』の手伝いをお願いされたことでオペラの世界へと足を踏み入れたと言われています。
これがきっかけでオペラの仕事をやるなら東京に来ないか? という声がかかり、ちょうど交際していた彼女が東京にいたということも重なり、本格的に仕事をするため上京をしたそうです。
ちなみにその彼女というのは現在の小栗哲家さんの妻であり、小栗旬さんの母親でもあります。
そんな父親について息子である小栗旬さんは尊敬をしつつも、ライバルと感じているとインタビューで語っていました。
親を尊敬している人は多いと思いますが、彼のようにライバルとして見ている人は少ないのではないでしょうか?
父が舞台監督という役者に通じる道を進んでいるからこそ、小栗さんはライバルとして認識しているのかもしれませんね。
父である小栗哲家の出身地はどこ?
舞台監督として活動している父親を持つ小栗旬さんですが、そういえば父の小栗哲家さんってどこが出身地なのか気になります。
先程も書いたように本格的に監督業をするため、そして妻となる女性がいるということで上京していますので、どうも東京が出身地ではないようです。
では、哲家さんの出身地とはどこなのか? どうも愛知県半田市出身だと言われています。
残念ながら中学・高校などの出身校は不明ですが、もしかしたら半田市にある『愛知県立半田高等学校』かもしれませんね。
大学は名古屋市にある名城大学というのが判明しているので、24歳のときに上京するまでは実家のある愛知県に住んでいたのではないかと思います。
大学を卒業後は照明会社に就職していたそうですが、実はその前にアパレルショップの店員に内定が決定していたのだとか。
しかし、学生運動が影響して取り消しとなったという過去があるそうです。
もしこのまま取り消しがなければ、照明の会社で働いていれば、舞台監督としての小栗哲家という人物は誕生しなかったことでしょう。
そういった運命をたどった彼と舞台の手伝いとして声をかけた知り合いがいなければ、もっと違った人生になっていたのかもしれませんね。
兄の小栗了は元俳優で現在は?
小栗旬さんの父が舞台監督の小栗哲家さんだということがわかりましたが、実は兄も俳優として活動をしていたそうです。
では、小栗家の長男であり彼の兄となる人はどんな人なのか?
それは元俳優である小栗了さんです。
まずは簡単に小栗了さんのプロフィールを見てみましょう。
1976年9月5日生まれで現在は41歳となるようで、弟となる小栗旬さんとは6歳離れた兄弟のようです。
身長は184センチと弟より1センチ低いのですが、164センチの私からすれば羨ましい身長だと感じます。
そして画像を見てみると、兄弟そっくりだと感じませんか?
むしろ年齢を重ねているだけお兄さんの方は渋いイケメンって感じですね。
そんな兄である小栗了さんは父親の影響もあってか映画監督を目指していたそうで、高校を卒業したあとはアメリカへ留学していたのだとか。
アメリカでは映画の勉強をしつつも俳優の技術を身に着けていたそうですが、どうも英語が苦手ということもあり大きな役はもらえなかったという話がありました。
その後は日本で活動をしたいという気持ちがあったということで、24歳で帰国を決めたと言われています。
その結果、有名な演出家である蜷川幸雄氏の舞台に出演をするなど俳優として活躍をしていたのですが、2006年に引退をすることになりました。
俳優業を辞めた理由は詳しくわかりませんが、自分自身の限界を知ってしまったからではないかという話があります。
叶えた夢を諦めるのは気持ちの良いことではないのですが、ダラダラと続けるよりきっぱりやめるのも勇気も必要なのかもしれませんね。
こうして俳優を引退した兄の小栗了さんですが、現在は何をしているのでしょうか?
小栗了は現在どんな仕事を?
俳優という夢を諦めた小栗旬さんの兄である小栗了さん。
では、引退後の活躍は何をしているのか気になります。
引退した芸能人といえば一般企業に就職したり、持ち前の技術を使って起業するといったイメージがありますが彼の場合はどうなのか?
どうも小栗了さんは舞台やイベントなどの演出や作成を中心に行う会社である『株式会社NAC』の代表取締役社長となっているのだとか。
以前から知っていたという人もいたようですが、2018年に放送された『さんまの転職DE天職』という番組に出演したことで更に多くの人が現在の活躍を知ったそうです。
会社の公式ホームページを見てみると、主な事業内容は演劇やイベントのプロデュースや演出などを中心に行っています。
小栗了さんは俳優という道を諦めてしまいましたが、今度はその世界で活躍する人を応援する道へと進んだということになるのではないでしょうか。
それに映画監督の勉強もしていますし、役者としても活躍をされていた彼だからこそ見える物もあると思います。
それを活かした活躍を続けてもらい、これからも多くの演劇を支えてほしいですね。
母はバレエ?
父は舞台監督、兄は元俳優で代表取締役社長という小栗旬さんですが、そういえば母親はどんな人物なのでしょうか?
どうも名前は小栗昇子さんというそうで、芸能界にいる家族とは違って一般人だと言われています。
それでもメディアには出たことがあるということもあり、母親の画像というのがありました。
どちらかといえば、小栗旬さんや兄の小栗了さんは母親似のように感じますね。
さて、そんな母のお仕事ですが、どうも噂によるとクラシックバレエの教室で先生をしているそうです。
これは小栗旬さんがゲスト出演した『はなまるマーケット』で語っており、どうも夫となる小栗哲家氏と結婚する前からバレエをしていたのだとか。
舞台監督として演出を手がける父親に、ダンスで感情を表現する母親、そう考えると努力だけではなく生まれ持った才能も彼にはあったのかもしれませんね。
小栗旬の母親はムーミン?
ネットで小栗旬さんの母について検索すると、なぜか『ムーミン』という単語が出てきます。
ムーミンといえば日本では絵本やアニメとして人気の作品として有名です。
では、どうしてこれが小栗旬さんの母親に関係しているのか?
どうもこれは両親の馴れ初めに関係していると言われています。
こちらも『はなまるマーケット』で小栗旬さんが語っていたのですが、なんでもムーミンの人形劇に母親が出ていたそうです。
そして母が入っている人形(きぐるみ?)に照明を当てていたのが、なんと父である小栗哲家さんだったのだとか。
これがきっかけと思いきや、どうも父は別の人形に入っている人とデートする予定があったことを小栗旬さんが暴露しています。
しかし、デートに行ってみるとそこには予定していた女性ではなく、後に妻となる昇子さんがいたという話をしていました。
そんな間違いもあったようですが、もしこの出会いがなければ彼が生まれなかったことを考えると、とても素敵な出会いだったのだと思いますね。
小栗旬は家族も凄かった!
今では実力派俳優となった小栗旬さんですが、その父親もまた舞台監督として活躍されている小栗哲家さんだということがわかりました。
また、母親もクラシックバレエという表現の世界にいましたし、兄である小栗了さんも元俳優です。
彼は努力を続けて人気俳優になりましたが、やはり少なからず才能というのも持っていたことでしょう。
また、2012年にはモデルで女優の山田優さんと結婚したことによって、更に芸能一家として大きくなったように思えます。
それぞれ世界は違いますが、これからも各分野で活躍されることを願っています。